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原田さんのツイートから生活保護を考える

さて,久しぶりのブログ更新です.本日は生活保護について倫理的な観点から考えてみたいと思います.

というのも,声優の原田ひとみさんからこんなツイートが上がったからです.
https://twitter.com/vhitomin/status/219755561443536897

生活保護って、障害で働けなかったりシングルマザーで子供もいて働かなきゃいけなくてとか、誰からも援助を得られない方には絶対的にあるべきだと思うけど、その他の人にも必要なん(´・ω・`)? 日本って、アルバイトでも十分食べていけるよね(´・ω・`)

私も私的な事情により生活保護については考えるところがあったのですが,それにしてもこのツイートは目から鱗が落ちる思いでした.というのも,一般的な人の感覚を如実に表していると感じたからです.

今まで生活保護はその制度や不公平感,財政的な問題などがいっしょくたに語られてきたので複雑な様相を呈していましたが,問題を倫理的な観点のみに絞った場合,果たして我々はどこまで許容出来るのでしょうか?今回はこの問題について考えてみたいと思います.

1.生活保護は恥か?
生活保護日本国憲法の「最低限文化的な〜(ここらへんはテキトーに調べてもらえると幸いです)」という文を根拠に成立した法律であり,その意味では国家のシステムの一つと考えられます.それを考えると,「生活保護を受ける」という行為は国民全員が等しく有する権利であるので取り立てて「恥」と考えるべき問題ではないと思われます.ところが,国民全員とは言わないまでも多くの人々が「働くより生活保護のほうが楽で良い」と考えると国の運用という観点からは大問題です.この線引きが重要になってきます.つまり,国の運用という観点では生活保護は財政を圧迫するので減らしたいが,国民の権利であるのでそれを侵害することは出来ない,ということになるわけです.
そこで生まれたのが「生活保護は恥」という言説ではないかと思われます.生活保護は恥という言説は「生活保護は自分の金で食べることができない人々が国民の税金で生活させてもらっているので,これは恥である」というようなものです.これは庶民感情として十分納得できる論理ではないかと思います.「人様に迷惑をかけて生きているのだから恥である」のです.しかし,先程も述べられたように生活保護はシステムの一部であり国の予算を充てて運用しているものであるので「人様のお金」という見方は妥当ではないと思われます.ここを正しく捉えないと「公務員は国民の税金で暮らしているのだから〜」というよくわからない言説が生まれることになるわけです.要するに,生活保護は国のシステムなのだから,我々の批判の対象は生活保護受給者よりも国のシステム管理能力に批判の目を向けなければならないわけです.
まとめると,生活保護受給者に対する批判ではなく生活保護を運用する国に対する批判が正当であるということです.

2.生活保護は誰のためのものか?
生活保護の考え方をまとめたところで本題に移ります.今回のテーマは上のツイートにあるように「生活保護は誰のためのものか?」というものです.
原田さんの問題意識は「生活保護を運用するための費用には国の予算が充てられている.これは国民の税金である.なので,生活保護者に対する不正受給や,働けるのに働かないで生活保護を受けている人は不当である.よって制度を改正する必要がある」というものです.(と僕は解釈しました.
上述したように,生活保護に批判を向ける場合国,制度そのものを批判の対象とすべきであると考えるのでこの意見は妥当であると思います.また,上のツイートからも分かるように,生活保護のネックは「他人の金で生活する」というところにあるということが分かります.
そして,この次の原田さんのツイートが以下のものです.
https://twitter.com/vhitomin/status/219757200736919552


え、それは別にいいと思いますよ(笑)。何ら問題はないのではー。ただ、働けてゆとりもある程度はある筈なのに生活保護を受ける人が多いのは、国の制度がどうなのって思うだけです; RT @wolf_ako:親の脛かじりまくってる自宅警備員でごめんなさい・・・(´・ω・`)

ここで原田さんは「親の脛をかじる」ことについては「別にいい」と仰っています.「親の脛をかじる」という行為は「他人の金で生活する」ことの一つの形態でありますが,この違いはどこから来るのでしょう?

「親の脛をかじる」にも色いろあると思いますが,年齢別で考えるのがわかりやすいと思います.当然ながら20歳以下は基本的には「親の脛をかじる」という言説が適当でないくらい.扶養されて当然というのが多くの人の感覚だと思います.これは大学に通う場合とそうでない場合とでまた変わってくるのですが...大学に通っている場合は卒業まで養ってもらうのはある意味当然といって差し支えないと思われます.

問題なのは教育機関を卒業した後です.高卒の場合18〜.大卒だと22〜となりますが,この人が定職につかずに「親の脛をかじる」のは倫理的に問題がある行為でしょうか?

おそらく昨今の就職難の事情もあるので卒業から数年については「定職につけず親の脛をかじっている状態」に問題があるとおもわれる方は少ないのではないでしょうか?実際バイトしつつ,就活しつつ親と同居というパターンが結構あると思います.また,就活で鬱になり家で何もできずにいる方もいらっしゃるかもしれません.

但し,この状態を30以上でも続けている場合世間の目はかなり冷たくなるのではないでしょうか?それとも,「別に人様に迷惑をかけているわけではないのだからよしとする」のでしょうか?

私個人としては,「働くのが望ましいが,それは本人の自由である」といったところです.このような「親の脛をかじる」癖がついた人は,親がいなくなった後,生活保護を受ける確率が健全な生活を送っている人より高いと考えられるので(すいません,ソースはないです)このような層がいることはリスクがあると言えます.




逆に生活保護の場合,若年層で働けるときは批判の対象になりやすいですが,高齢になるにつれてその批判の度合は薄れていくと思います.(結局働けなくなるので
特に,定年を過ぎた方が生活保護を受けることに対する批判というのはあまりないかと思われます.


さて,人々はどのラインで生活保護を妥当だと考えるのでしょうか?
例えば,一人は親がある程度裕福なので,親に養ってもらい30歳になっても定職につかず毎日家でゴロゴロしています.もう一人は親が貧乏なので養ってもらえず,世帯を分けて30歳になった今働ける能力があるにもかかわらず生活保護を受けて毎日家でゴロゴロしています.この二人の違いはなんでしょうか?

やはり,後者は倫理的に許されず,前者は倫理的には問題がないのでしょうか?

または,20代毎日暴飲暴食を繰り返し,30代後半で脳出血を起こし働けなくなった人が生活保護を受けることになったとしたらこれは許容できることでしょうか?

もっと卑近な例では,生活保護受給者がパチンコを行うことは許されるのでしょうか?飲酒は?タバコは?生活保護受給者は普通に働いている人より裕福な暮らしをしてはならないのでしょうか?

最初に提示した問題では,私は倫理的なレベルではどちらも問題があると思います.「働ける能力があるのに行使しない」という道徳的な罪です.但し,実際問題としてははやはり法的,政治的,経済的な観点から後者のほうが罪が重いと考えられるわけです.

次に提示した問題では,働けない者は「どのような事情で働けなくなったにしろ」生活保護を受けることが許されるかというものです.上の状況ではある意味働けなくなったのは自業自得とも言えます.それでも生活保護を受けることは倫理的に問題がないのでしょうか?

私にはこれに見合う答えを用意することができません.それには,そもそもこのような問題があまり論じられて来なかったことが背景の一つにあるように思われます.

最後の問題は,生活保護の「不公平感」に関する問題です.国民の税金で暮らしている人は貧しい生活を慎ましく送る必要があるか?という問題です.

このように,生活保護については倫理的なレベルでまだまだ考えられるべき点が数多くあるように思います.制度改正は倫理的なベースが定まってからでも遅くはないと思います.