とりあえずかけそば一丁

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少女漫画と、女性目線・男性目線

最近では、少女漫画を男性が読むというのが当たり前になってきています。

 

少女漫画の中でヒットした作品はアニメ化し、更に話題性を増し、中には実写映画化しているものもあります。近年では、『ちはやふる』、『となりの怪物くん』、『好きっていいなよ。』などが話題になり、『好きっていいなよ。』については7月に実写映画化が予定されているという状況です。

 

そんな少女漫画ですが、どうやら男性と女性で観る視点が異なるようです。

というのも、先日ある女性と『君に届け』という作品の話をしていたとき、私が「主人公のさわ子が可愛くない」と言ったら、彼女には「女の子が可愛いかどうかは余り関係がない」と返されました。

彼女いわく、少女漫画の魅力は「主人公の女の子がどういう男の子と出会って、どういう展開になるか、ライバルの女の子がどうか」といった「主人公の女の子がどのようにちやほやされるか」や「どのような邪魔が入るか」などということでした。

これはつまり「主人公目線でどのように物語が展開されるか」に主眼を置いている見方であると言えます。

 

一方で、私たち男性はおそらく少女漫画を読むとき、「男性」には注目していないと思われます。その漫画にどんな男性が出てきてどんな展開になるかにはさして興味がないのです。

その代わり、男性がどこの注目しているかというと先ほど述べたように「女の子の可愛さ」ではないかと思うのです。

私は『となりの怪物くん』という作品が好きなのですが、この作品の魅力は多様な人物の群像劇と、それぞれの女性陣のコンプレックスと絡めた心の動きの描写だと思っています。

雫の「勉強だけが心の支え」という状態から、春や他の登場人物と出会って、ぶつかって、恋をして、その中での心の葛藤が上手く、そして可愛く描かれているのが魅力だと思います。(まぁ私の好きなキャラはあさ子ちゃんなのですが

つまり、私(≒男性)は少女漫画を読むときは、女性の描写、そして心の葛藤、成長を観ているのではないかと考えられます。

 

ここに、女性と男性での少女漫画の見方の分かれ目があるのではないでしょうか。

 

少女漫画に限らず、多くの読者層にヒットを飛ばす作品というのは、女性・男性どちらの目線でも楽しめるように上手くバランスが取られているように感じます。

女性一人に対して男性複数という典型的な作品では男性からの支持を集めるのは難しいです。逆に、男性一人に女性複数のハーレムというのも女性受けは悪いでしょう。

 

もっと言ってしまうと、「男性だけに受ければいい」というスタンスで作った男性向けの作品は、余り面白くありません。そういう作品は須く女性がカテゴライズされているからです。

「男性が描く女性」という紋切り型はよくありませんが、先日のエントリでも述べたように、男性向け作品の多くの女性キャラは既成のギャルゲ・ラノベ文化の煽りを受け極端に「記号化」されています。そのような記号化された「お約束の女性」のどこが可愛いのでしょうか。

少女漫画で描かれる女性では、このようなギャルゲ文化の記号化を避けた「人間らしい」女性が描かれています。

 

女性には「女性の人間らしさ」を描く力があると思います。

大ヒットを飛ばした『けいおん!』は山田尚子監督、堀口悠紀子さん、吉田玲子さんといった女性陣が作り上げました。また昨今様々な作品で引っ張りだこの岡田麿里さんも女性です。

 

けいおん!』で描かれたのは、「日常系」と呼称するに相応しい女の子の「日常」でした。「普通の高校の女の子が軽音部でお茶をする」というアニメ化するには全くふさわしくない設定を30分飽きさせないどころか、毎週観させるだけの強度を持ったキャラクターを作り上げたのは山田監督初めスタッフの面目躍如でした。

一方、岡田麿里さんの場合、「いかにもアニメ的な設定の女の子」が「普通の女の子みたいにまじめに葛藤する」というキメラテックな状況をキャラクターに背負わせることで、ドラマティックな展開を生み出しているように思います。

 

他にも、女性だからこそ描くことができる可愛い女の子という例は枚挙にいとまがないのではないかと思います。

 

思うに、「記号化した女性」に飽きた男性が求めているのは、女性が描く「活きた女性」なのではないでしょうか。