とりあえずかけそば一丁

アニメとか映画とか気になったものについて

何でもかんでも「日常系」とか使ってる奴なんなん?

 ブログの閲覧数稼ぎたさの余り釣りっぽいタイトルにしてしました。

 

 今回は、「日常系」というジャンルにまつわる1つの疑問について書きます。

 皆さん「日常系」というジャンル分けをどのように使っていますか?

 

 試しに「日常系」というワードでググってみると、空気系というwikipediaのエントリとNAVERまとめ、ついでニコニコ百科がヒットします。筆者の個人的見解ですが、こういうアニメ・漫画関係のキーワードはwikipediaよりニコニコ百科の方が強い気がします。というわけで、ニコニコ百科を眺めてみると、

 

 一言で説明すると「劇的なストーリー展開を極排除した、登場人物達が送るゆったりとした日常を淡々と描写するもの」。

 

なんて解説が出てきます。つまり日常系であるためには、ストーリー展開があってはならないということらしいです。因みにNAVERまとめの方で日常系作品を見てみると、

けいおん!』、『ひだまりスケッチ』、『みなみけ』、『らき☆すた』、『ゆるゆり』など、4コマ漫画原作の作品がほとんどです。

 

 となると、現在放送中のアニメだと、『ご注文はうさぎですか?』、『犬神さんと猫山さん』あたりが「日常系」としてジャンル分けされると思われます。

 

 今回私が抱いた疑問とは、「日常系」というジャンル分けは果たして有効か?ということです。

 アニメ批評では「日常系アニメの現在」とか「日常系アニメから見る〜」など日常系アニメをフックにした批評をしばしば見かけます。そういう批評の中には、例の東某や宇野某の議論を持ち出してきて、大きな物語の喪失から小さな物語への以降、そしてその延長線上としての「日常系」、日常讃歌、なんて話が出てきます。

 ここで行われている議論の前提は、「日常系」とはニコニコ百科にあるように「ストーリーが存在しない、登場人物たちの会話を楽しむもの」であるという認識です。

 私がここで言う「有効か?」という言葉の意味は、このような前提が有効かということです。即ち、いわゆる日常系と呼ばれている作品の中にも「登場人物たちの会話を楽しむもの」以外の作品が存在していたとしたら、その作品を「日常系」として論じるのは議論として正当でないばかりか、その作品を正しく理解しないことにも繋がります。

 

 そこで、今回は「日常系」というジャンルを再定義すると共に、幾つかの作品をサンプルとして「日常系」というジャンルが妥当か検証します。

 

 上述したように、日常系として挙げられている作品の原作はほぼ全て4コマ漫画です。その中でも、芳文社まんがタイムきららは4コマ漫画のアニメ化に力を入れており、代表作『けいおん!』を始めとして、『ゆゆ式』、『ご注文はうさぎですか?』など継続的にアニメ化を行っています。

 芳文社の沿革を調べてみると、芳文社が4コマ漫画へとシフトするきっかけについてこのように書かれています。

 

「週刊漫画 TIMES」に次ぐ新企画の開発が喫緊の課題となった1980(昭和55)年、「漫画パンチ」連載の植田まさしの4コマまんが「のんき君」の人気に着目した孝壽芳春は、ギャグ漫画を中心に据えた雑誌の開発を指示。1981(昭和56)年、「時代は笑いを主軸にした漫画誌を求めている」という読者ニーズを先取りした我が国初の家庭4コマまんが誌「まんがタイム」を創刊し4コマブームを巻き起こす。

 

 当時の芳文社は、ギャグ漫画に力を入れるため「まんがタイム」を創刊したようです。そしてその後進となるまんがタイムきらら創刊のきっかけについてはこのように述べています。

 

 パソコンや携帯電話の普及等により、従来の読書スタイルが大きく変貌し、出版業界全体の売上が減少を続ける中、購買力のあるいわゆる“オタク”層の取り込みを狙い、2003年に“萌え”系4コマ誌「まんがタイムきらら」を創刊。その後、姉妹誌「まんがタイムきららMAX」、「まんがタイムきららキャラット」、ストーリー主体の「まんがタイムきららフォワード」を発刊。萌え系4コマの世界で確乎たる地位を築く。

 

 この文章から、芳文社は「笑い」を中心とした4コマ漫画の創刊を経て、オタク層のニーズに対応するために美少女を主軸とした4コマ漫画を創刊したと言えます。ここから、芳文社まんがタイムきららは、美少女が中心人物となり「笑い」を志向した作品づくりを行っていると考えられます。

 

 まんがタイムきらら原作のアニメの多くがが「日常系」として扱われているなら、それらの作品も原作と同様の特徴を備えているはずです。即ち、現在日常系作品として扱われている作品の共通項として「笑い」を指向する傾向があるということです。この傾向があることの傍証として、先に引用したNAVERまとめがあります。先のNAVERまとめでは、日常系の面白さの1つとして「ギャグ度」という指標を挙げています。このことから、日常系アニメにおいてもギャグが重視していることが伺えます。芳文社以外の出版、一迅社などの作品も同様の傾向を備えていることは論証するまでもないでしょう。

 

 日常系アニメがギャグを指向する理由は、上に挙げた「4コマ漫画」の由来という側面以外にもあるように思えます。そしてそれは、「日常系」という呼称と密接に関わっています。

 人がアニメに限らずある作品に期待するものは様々です。ある作品には感動を、ある作品には勇気を、ある作品には恐怖を期待します。そのような「快」の中でも日常的に見られるのが「笑い」です。「笑い」はドラマや映画に限らず、バラエティ作品でも笑いは見られます。それに引き換え映画では、手の込んだ設定やストーリーから「感動」や「恐怖」といって快を引き出す作品が多いように思います。「笑い」の優れている点は、そのような手の込んだ設定が無くても引き出せるところです。逆に「感動」を引き出すためには、登場人物たちの「努力」や「成長」といったストーリーが必要となります。

 このように「笑い」は「努力」や「成長」なしに、言い換えれば、キャラクターの成長のない「繰り返し」の中でも快を引き出すことができるのです。繰り返しとは、即ち日常の謂いです。つまり、日常系アニメがギャグを指向する理由は、「笑い」という快は「繰り返し」の中でも引き出せるという点にもあるのです。

 

 これらの考察から、「日常系」を定義するための幾つかの特質が見えてきたように思います。1つは「笑い」があること、これは日常系アニメの原作が「4コマ漫画」であるという点から導かれた特質です。もう1つは美少女であること、これは日常系作品が「萌え」から出発したというまんがタイムきらら創刊の由来から導かれます。もう一つは「繰り返し」であること。これは、「笑い」という快を引き出すための装置から導かれた特質です。

 

 ここで、この2つの特質を以って「日常系」を再定義したいと思います。即ち「笑いと美少女と繰り返しを主軸とした」作品、です。

 

 この定義によっても、現存する多くの日常系作品を語ることができることが分かります。例えば『ご注文はうさぎですか?』。この作品はおよそ「日常」という名に似つかわしくない軍隊出身系のツインテールやしゃべるうさぎ、どこの文化圏かも怪しい美少女が出てきたりしますが、上の定義に照らし合わせれば立派な「日常系」です。他の『みなみけ』や『ゆるゆり』などもこの定義で語ることができます。

 

 そしてこの定義から導けるのは、決して「日常系」というアニメから「小さな物語」や「小さな世界における日常讃歌」なんている壮大な考察は論じることができないという事実です。「日常系アニメ」にあるのは、ただの美少女と笑いです。そこには、「現実の日常」への接続点は存在しえません。あるのは作品内世界における繰り返しです。たとえそこで日常への讃歌があったとしても、私たちの世界がその讃歌を歌い直すことは決してできないのです。

 

 

 ところで、この日常系の定義に当てはまらない作品が幾つかあります。それがアニメ版『けいおん!』と『ひだまりスケッチ』です。これらの作品は多少の笑いはありますが、それよりも女の子同士のハートフルな交流や成長、そして「感動」が描かれます。先にも述べたように、「感動」を描くためには成長が必要です。この2つの作品は共通して3年生達が卒業します。それは、この2つの作品がギャグではなく「感動」を主軸として作品を生み出そうとしたことの必然です。これらの作品の登場人物は…唯は、あずにゃんは、ゆのっちは、成長します。小さな高校の小さな軽音部であったり、小さな学生寮であったりしても、そのまさしく「日常」とも言うべき日々を過ごすことによって彼女たちは成長するのです。私たちはそんな彼女たちを観て、癒され、「明日に向けて頑張ろう」という活力を得ます。

 

 面白いことに、このような「日常における成長を描いた作品」が「日常系」の定義から外れるということです。勿論、私が今回再定義した「日常系」は恣意的なものですが、アニメ版『けいおん!』が原作版『けいおん!』と異なるという議論は今まで散々議論されてきた1点を取ってみても、この2つの作品を異なるものとして認識する向きが強いということを裏付けています。

 

 私が考えるに、アニメ版『けいおん!』と『ひだまりスケッチ』は『ご注文はうさぎですか?』などの作品と異なり、どちらかと言うと『ARIA』に近い構造ではないかと考えています。

 『ARIA』で語られるのは、日常における「美しさ」の再発見です。主人公である灯里はネオ・ヴェネツィアにおける生活の中で、様々な生き物の、自然の、人の美しさを再発見し、そして成長します。この「美しさの再発見」はそのまま現実にインポートすることが可能です。だから、ARIAは「日常系アニメ」よりも我々の世界に接続していると言えます。

 しかしながら、ARIAは「日常系アニメ」として扱われることがありません。それは、私が定義したように、日常系アニメは笑いと繰り返しを必要としており、決して成長を必要とするものではないからです。

 その意味で、アニメ版『けいおん!』と『ひだまりスケッチ』は『ARIA』と同じ構造であると考えます。

 

 さて、ここまで「日常系」作品に対する疑問から発し、「日常系」の再定義、そして作品比較を行ってきました。ここでわかったのは、「日常系」が「笑いと美少女と繰り返し」を指向しており、決して「小さな物語」、「日常讃歌」といったメッセージ性を導き出せるものではないというものでした。そして、むしろ「日常系」として定義できない作品にこそ、現実と接続するメッセージ性―成長や友情、日常の美しさ―が織り込まれていることを確認しました。

 だから、私は今一度こう言います。「何でもかんでも「日常系」って使ってる奴なんなん?」