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とりあえずかけそば一丁

アニメとか映画とか気になったものについて

フローベール『感情教育』感想,もしくはSF的美少女への愛

今日は,@kbtysk33さん主催のフローベール『感情教育』の読書会に参加しました!
私も含め参加者は5人だったのですが,発表者である@danse_des_oursさんの考察,分析が素晴らしく感動しました〜.@danse_des_oursさんはまだ学部生(修士2年生とのことです,danse_des_oursさんすいませんm(_ _)m 2012/07/09 1:33追記)ということが幅広い知見をお持ちで,違う学問分野ではありますが,探求の姿勢は見習わなければならないと深く反省した次第です(-_-;)

というわけで,本日はタイトルの通り『感情教育』の感想を綴ってみます.
私は理工学部生ということもありフランス文学,及び文学史には疎いので,今までの自分の映像体験や読書体験と照らしあわせてとりとめもなく感想をまとめようと思います.

『感情教育』は青年フレデリックが首都であるパリと地方ル・アーヴル(ノジャンでした)でアルヌー夫人を始めとする様々な夢を夢想し,そして挫折していく「青春小説」です.(と私は考えています)

この作品中で,フレデリックは3人の女性と恋に落ちます,それがアルヌー夫人,ダンブルーズ夫人,ロザネットです.本当はもう一人ルイズという主要な人物がいますが,フレデリックが直接的な関係を持つに至りません(といってもちゃっかり結婚の約束とかするのですが.

高砂伸邦は『フローベールの自伝系列作品等にみるフェティシスムの影』の中で,この3人との恋愛について次のように述べています.

「繊細で”醒めて夢みる人”フレデリックが追い求める3つの愛,ロザネットを対象とした”肉のための愛”,ダンブルーズ夫人を対象とした”社会的野心のための愛”,そしてアルヌー夫人を対象とした”愛のための愛”において前2者は破綻を来たし,後者は結実しないまま終わるが,その寿命は,彼が当の女性にいだく夢想の強さに準じるかたちになっている.(中略)一方,フレデリックが”感謝の心のほとばしりに似た無言の歓喜”,”ほかのことは忘れきるほどの無我の境”,さらに”宗教的な畏怖”さえも感じるアルヌー夫人との関係においては,夢想が絶対的優位をしめる(強調筆者)」

ここで高砂が言うように,ダンブルーズ夫人やロザネットへの愛は即物的な愛と言ってもよく,肉欲だったり,社会的名誉だったりを満たすための道具であります.それに対して,アルヌー夫人への愛は,情欲もありますがプラトニックなものに終始します.
また,ダンブルーズ夫人やロザネットはフレデリックの視点による「身体の描写」が多いのに対し,アルヌー夫人に対しては「夢想の想起」が圧倒的に多いです.
このことについて高砂は「夫人の本体を追い出した”人間の境地”の跡地に,彼は夫人の代替品つまりフェティッシュを据えるのである」と述べている.
この意見に対して私は,フレデリックにとってのアルヌー夫人はフェティッシュよりもアニメ,マンガの文脈で言う「美少女」なのではないかと考えます.
というよりも,フレデリックに感情移入した「私」が体験するアルヌー夫人が「美少女」である,という方が正しいかもしれません.
フレデリック(もしくは私)はアルヌー夫人と決して結ばれることが出来ないからこそ,彼女の痕跡に執着し(アルヌー家の家具が競売にかけられるシーン),夢想を繰り返し,神格化するのだと思います.

ここで注目したいのが,この小説のラストでフレデリックがアルヌー夫人と邂逅を果たすシーンです.
このシーンでのアルヌー夫人は白髪を湛えており,最早フレデリックが恋焦がれた女性ではありません.そこでフレデリックはその幻滅を隠すため,過去の彼女への賛辞を述べながら,「自分で自分の言葉に酔い,いっていることを信じこむ」のです.
そして別れ際,アルヌー夫人はフレデリックに,自分の白い髪を一束手渡し,「とっておいてくださいな.さよなら!」と去ります.

このシーンではフレデリックにとってその瞬間まで理想の美であったアルヌー夫人が年老いていたことに対する幻滅とそれを感じまいと必死に努力する彼が描かれています.つまり,フレデリック(私)は「美少女の喪失」を経験したのです.これがこの小説におけるカタルシスなのではないでしょうか?

ところで,「美少女の喪失」というモチーフはSF的な美少女を彷彿とさせます.
なぜならSFにおける恋愛では,しばしばこのようなモチーフが援用されるように思うからです.例えば「恋していた女性が実はアンドロイドだった」「愛する異性とウラシマ効果によって隔てられる」などがそれです.
もちろん,一般の小説でも愛する女性が急に失われるなんていうのはザラですが(それこそケータイ小説なんかちょっとした殺人事件のごとく恋人が死ぬので),「時間的,空間的な断絶」や「イデアの崩壊,喪失」というものを描く上でSFよりも最適なジャンルは考えられません.(少なくとも僕の中では

なぜ急にSFの話になったといいますと,この『感情教育』のラストシーンを読んで私が想起したのが『イリヤの空、UFOの夏』(以下イリヤ)だったからです.それは『イリヤ』にも『美少女の喪失』と『白い髪』という2つの記号が含まれるからだと思われます.

『イリヤ』においては,『美少女の喪失』は2度描かれます.一つは「身体の崩壊」による喪失,もう一つは文字通り「存在の喪失」です.「身体の崩壊」による喪失とは,伊里野が浅羽との逃避行において,精神的に退行し,身体的にも著しい不調をきたすからです.ここで重要なのは,伊里野が「白髪化していること」と一夜の内に「崩壊」することです.また,次の「存在の喪失」は伊里野が敵との戦闘のため浅羽を置いて旅立つことによって発生します.
小説中においては浅羽が「美少女の喪失」を意識する描写はありませんが,壊れた少女を必死に介護する浅羽と,理想を保とうとするフレデリックはどことなく被って見えないでしょうか?(私だけですよね...

まとめると,私が『イリヤの空、UFOの夏』大好きだということですね!(身も蓋もない