とりあえずかけそば一丁

アニメとか映画とか気になったものについて

KING OF PRISMについて考える

先日の酷評記事

twinkle-sa.hatenablog.com

がなんと,なないち研様の感想リンク集にリンクしてもらえました.

kensetu.hateblo.jp

絶賛の嵐の中にポツンと罵詈雑言があるのはなんとも居心地が悪い気もしますが,嬉しい限りです.

 

今日は,映画本体の感想から離れて,映画本編を見に行っている人はKING OF PRISMのどこを楽しんでいるのか?何故自分は楽しめていないのか?という1歩引いた目線で考えてみようと思います.

 

上の感想リンク集のリンク先をさらっとチェックした感じ,感想として多かったのは主に

1.笑える

2.泣ける

3.見ると元気になる

の3つでした.

togetter.com

 

1.笑えるについては「腹筋崩壊www」とか「合法ドラッグ」とかそういう感想が当たると思います.裸がいっぱい出てくるところとか,自転車デートしてると思ったらいきなりE.Tになるところとか,やたら大規模な赤字とか,謎料理とかツッコミどころいっぱいなところを笑い飛ばして楽しむ映画ということでしょう.

2.泣けるについてはおそらくコウジ君がOver The Rainbowから脱退してハリウッドに旅立つシーンのことだと認識しています.実際自分が劇場で鑑賞しているときも,このシーンでメガネを外して涙を拭っている方がいらっしゃっいましたし.

3.見ると元気になるというのはクライマックスの一条くんのプリズムショーのことかと思います.コウジ君がOver The Rainbowを去ることになり失意のどん底にある観客たち.しかし,その前に颯爽と現れたルーキーの心煌めく演技に視聴者は魅了され,元気をもらったということではないでしょうか.

以上3点について私の認識が間違っていなければ,楽しんでいる方々の「この映画のみどころ」ということになると思います.

 

この中で1の「笑える」については,何を以って笑えるかどうか考察するのは難しいですし,実際私が観たときに笑えたシーンもいくつかあったので,この点については割愛することにします.なので,ここではKING OF PRISMが「泣ける」,「見ると元気になる」という点について考えてみようと思います.

 

まず,「泣ける」という点についてですが,先日の感想記事で書いたように私自身が泣けない理由としてOver The Rainbowが結成されてからの3人の物語が描かれていないので,別れにカタルシスを求めるのが難しいと書きました.

レインボーライブファンの私としては,ヒロ,コウジ,カズキがそれぞれ心の葛藤を抱えながらも最終的に和解しOver The Rainbowを結成する,というのがTV版での最もカタルシスを生むポイントであると思っていますし,KING OF PRISM本編中のOver The Rainbow結成までの総集編ではちょっと泣きそうになりました.

KING OF PRISMでもしコウジの別れを劇的にしたいなら,Over The Rainbowとしての苦難や葛藤を乗り越え,絆が深まったところでの「別れ」であるべきだと思うのが僕の意見です.

 

一方で,Twitter上で見られた興味深い感想として「1回目は笑ったけど5回見ると泣く」というものがありました(元ツイートのリンクを失くしてしまいました).

流石に5回観て本当に泣けるかどうか確かめる気はありませんが,ここで考えられるのは,何回も映像体験を重ねることによって「設定に入れ込んでいる」状態になっているのかなということです.設定に入れ込んでいるというのは,決して物語上に明示的な描写がなくても「別れ」というシーンに感動できてしまう,もっというとOver The Rainbowの3人の気持ちを汲みとってあげてしまう,ということです.もちろん何回も観てなくてもそういう見方は可能だと思うのですが,ルーパーだとそういう見方が補強されるのではないかと考えました.

別にKING OF PRISMに限らずそういうモノの見方は誰しもやっていることで,例えば理由がなくても子どもが泣いてるシーンがあったら,こちらも泣きたくなってしまうとかそういうものではないですかね.「子ども」「泣く」というキーワードに自分の心が反応して幼少期の何かが呼び起こされる感じ,そういうものをKING OF PRISMにおける「別れ」のシーンから汲みとったのではないかと思います.

 

別の可能性としてOver The Rainbowのファンという立場で泣くという可能性も考えられます.Over The Rainbowが活動休止してしまう,コウジ君がハリウッドに行ってしまうということについて劇中のファンの目線と同一の目線で鑑賞していると別れのシーンは泣けるのではないかと思います.

この点については,Over The Rainbowのファンではない自分の立場からは検証不可能なので誰かの意見を伺いたいところです.

 

以上が,泣ける映画としてのKING OF  PRISMの考察でした.

 

次に「見ると元気になる」という点について考察しようと思います.

元気になるというのは,曖昧なので実際の感想から拾ってくると

「見るとハピなるな気持ちになる」「久しぶりに心の煌めきを取り戻せた」と言った,

プリズムショーの本質である「心の煌めき」に言及している感想が目立ちました.

なので,ここではプリティーリズムシリーズにおける「心の煌めき」について考え,KING OF PRISMと比較しようと思います.

 

まず初めに,プリティーリズムシリーズで描かれた物語について総括しようと思います.

 

プリティーリズムオーロラドリームを一言で説明するなら「プリズムジャンプは心の飛躍」という言葉に尽きると思います.

この言葉は,練習してもプリズムジャンプが飛べないりずむちゃんに対して純さんがかけた言葉です.意味するところとしては,自分の内面をさらけ出すこと,自分の純粋な気持ちをジャンプに込めることこそがプリズムジャンプを成功させる秘訣だということだと思います.プリズムジャンプというのは単純に練習だけで成功するようなシロモノではなく,自分の内面というのが強く関係していることがこの言葉には端的に表されています.但し,だからといってプリズムジャンプを飛ぶのには才能や自分の内面が充実していればいいか?という訳ではなく,元がスケートである分,日々の練習も欠かせません.そもそも,プリティーリズムオーロラドリームにおける登場人物たちの目標設定は究極の技である「オーロラライジング」を飛ぶ,もしくは乗り越えることにあった訳で,技に対してストイックな姿勢を貫いたのがりずむであり,みおんでした.あいらという天に選ばれし者は,この2人の仲間であり,ライバルがいたからこと成長できたわけで.オーロラドリームがあいらという天才ただ一人の物語であったなら,天才が天才故に成功するというだけのなんとも味気ない物語だったと思います.

因みにオーロラドリームの総評としてはこちらの記事が非常によくまとまっていると思いました.

ツイプレッション : 主題を大切にしたアニメの素晴らしさ 「プリティーリズム・オーロラドリーム」総評

 

 次に,春音あいらという天才を上葉みあという凡人が乗り越えるという物語がプリティーリズムディアマイフューチャーでした.彼女のプリズムジャンプである「きらめきフューチャースター」は彼女の真っ直ぐな内面を象徴していると共に,その技が段階的に発展していくという演出は,彼女の成長を表す手法として素晴らしかったと思います.(ディアマイフューチャーはそこまでちゃんと観てない)

 

レインボーライブでは,天才彩瀬なるを筆頭にした6人の子どもたちの物語だったと言えます.初め敵同士だったプリズムストーンのなる,あん,いととエーデルローズのべる,わかな,おとはが一緒になり,切磋琢磨しあう関係にまでなり,最終的には6人で心の煌めきを取り戻すという展開は,前作までよりも人間関係に焦点を置いた群像劇としての趣が強いように見えます.オーロラドリームで見られた天才枠としての存在が彩瀬なるですが,それとペアになるのが蓮城寺べるというこの作品におけるもう一人の主役です.おっとりした父母に囲まれていつも元気一杯,だからこそもっている心の煌めきというあいらを彷彿とさせる設定の「なる」,一方で厳しい母親に躾けられ,競争を余儀なくされるエーデルローズの中で勝ち抜いてきたエリートとしての「べる」,2人は表と裏の関係になっています(この表裏の対立構造はあんとわかな,いととおとはにも当てはまりますが).天性でプリズムライブを演じることができるなると,厳しい練習を重ねてもプリズムライブに失敗するべるという構造はあいらとりずむの関係に通じるところがあります(ライブ以外の点ではべるに全く及ばないなるの挫折もきっちり描かれています).仲間に助けられることによってプリズムライブを成功させることができるようになったべるは,その後なると共に過ごすことによって成長を遂げ,最終的にはオーバー・ザ・レインボーセッションで優勝するまで上り詰めることができます.これによって(おそらく誰よりも練習した)彼女の努力は報われるのです.もちろん天才であるなるも,仲間たちの存在を通して初めの頃からは考えられない程成長を遂げます(1000%ピュアピュアアローは最高のプリズムジャンプの1つだと思います).ただ,レインボーライブでの物語としてのカタルシスはいととコウジの話やあんとわかな,ヒロといった主人公の周りに多く,それこそが,天才「彩瀬なる」の物語に終わらせない作りになっていたのだと思います.

 

総括すると,オーロラドリーム,ディアマイフューチャー,レインボーライブ,一貫して描かれていたのは,あいら,なるという「天性の心の煌めきを持っている者の物語」,というよりはむしろ「天性の心の煌めき」に触れることによって登場人物たちの心の煌めきが開花し,成長していく物語だったのではないかと思います.

 

このような点から考えると,KING OF PRISMでの一条くんのプリズムショーは,私にはどうしても「天才が,天才である故に成功したプリズムショー」に見えてしまい,彼自身の心の煌めきの成長が見られないから元気も感動も生まれないのではないかと思います.レインボーライブで例えると,1話でプリズムライブに成功したなるちゃんが初めにべると戦うときに1000%ピュアピュアアローを成功させてしまう感じですかね.もう1点はやはり「べる」のようなライバル的存在がいて,2人で高め合う展開があればもう少し良かったと思います.

 

一方で,ぼくがなるちゃん大好きだからなるちゃんに甘いという可能性もあります.成人男子が女児に甘いのは世の理,可愛いは正義ですからね.

 

ただ,そのような物語的な点を差し置いてもやっぱり一条くんのプリズムショーはダメだと思います.それは,KING OF PRISMにおけるプリズムジャンプの扱いが酷いからです.

先に述べたように,「プリズムジャンプは心の飛躍」でした.「オーロラライジング」を初めとするプリズムジャンプは,心の煌めきの投射という面があり,物理的な飛翔と心的な飛躍をマッチさせる非常によい演出手法でした.ディアマイフューチャーの「きらめきフューチャースター」も心の煌めきを象徴するジャンプの1つですね.もうちょっと象徴的なものだと「フレッシュフルーツバスケット」はお菓子屋の娘であるあいらの女の子らしい一面が表出したジャンプだと考えられます.飛翔をイメージしたプリズムジャンプには「MARSフェニックス」や,「スターライトフェザーメモリー」があります.象徴的なものとは別に,物語的なプリズムジャンプもありました.「2人のロマンティックショー」や「赤い糸,夏の恋」などはジャンプ自体に意味があるタイプのものです.

様々なプリズムジャンプがありますが,どのプリズムジャンプにも共通するのは「心の飛躍」という点です.レインボーライブファンとしては特に「スターライトフェザーメモリー」が白眉だと思っていて,なるとべるという「別々の2人」が「一緒になることで」得られた成長の奇跡,成長の軌跡を象徴している素晴らしいジャンプです.

このように,プリズムジャンプというのは物語で描かれた心の煌めきや成長というのを曲にのせてジャンプという1つの技に込めるものだと思います.

 

一方で,KING OF PRISMで描かれるプリズムジャンプというのは彼らの心の煌めきというよりも「女性に向けたセックスアピール」に大部分が見えてしまう,少なくとも自転車2人乗りやE.TのパロディにはOver The Rainbowの心の煌めきを感じ取ることはできません.カズキの心の剣はアレクサンダーの筋肉によって物理的に受け止められてしまいますし,コウジくんがはちみつキッスする理由が「唇のどアップを映したい」以外僕には分かりません.無限ハグも「愛の象徴」というよりは「性の象徴」って感じがしますし,裸で観客に抱きつくのは心の煌めきではないと思います.

最後の一条くんのプリズムジャンプは唯一彼の心の煌めきを象徴しうる場面なのですが,「校舎の屋上で叫ぶ」という演出は従来のプリズムジャンプで描かれていた飛翔のイメージが失われてしまっており,音楽との相乗効果を得られないばかりか「止まって見える」という逆効果になっています.更に,観客が露骨なピクトグラムで描かれているのも嘘くさく見えてしまい,全体的にげんなりする感じです.後,突然なるたちのプリズムショーを回想シーン的に入れても「お約束感」というか「レインボーライブファンもこれで満足でしょ,という言い訳感」しか生まれずむしろ腹が立ちます.

 

一条くんのプリズムジャンプを綺麗な形にするんだったら,今まで演出で使ってきた,オーロラや虹,翼といった飛翔のイメージを全面に出したプリズムジャンプの方が少なくとも僕は感動できました.

 

ただ,こちらにも男性の裸が気にならない,とか,むしろセックスアピールの描写が嬉しい層もいるでしょう.「学校へ行こう!」を観てた人にはオススメ!,みたいなツイートがあったので.屋上で叫ぶ的な演出が世代的にウケているのかもしれません.なので,究極的には感覚的に「ノレるかノレないか」の差に回収されてしまう気もします.

 

まとめると,物語的に,ジャンプの演出面,2点から一条くんのプリズムショーはノレないし,見終わった後心の煌めきが充填される感じもなかったのですが,僕が気にした点,つまり成長を求めない.セックスアピールを気にしない方なら心の煌めきを感じ取ることができるのではないかということです.

 

 

長くなってしまいましたが,KING OF PRISMを観て思ったことは全てまとめられたと思います.自分の感想と周りの感想がかけ離れているのは初めての体験だったので新鮮です.是非,キンプリ面白かったという人からの感想が聞きたいです.