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LOVE展というコンテクストの中の初音ミク

六本木ヒルズ,森美術館10周年を記念して2013426日から開催されているLOVE展.その名前にある通り「愛」をテーマにした作品展である.掲載されているアーティストを見てみると,サルヴァトール・ダリ,オーギュスト・ロダンを始めとする美術の教科書にも載っているようなものから,やくしまるえつこオノ・ヨーコなど一見するとアートとは無縁のように思える人までいる.その中で一際目を引くのが「初音ミク」の文字である.

 「初音ミク」はクリプトン・フューチャー・メディア社が開発したソフトウェアの名称である.元々は作曲家向けに任意のメロディを歌わせることが出来る「ボーカロイド」という名目で売りだしたソフトだったが,インターネット上で一大ブームを巻き起こし遂には初音ミクのライブが海外で行われたり,CMのイメージキャラクターとして起用されたりするようになった.

 このように,「初音ミク」は従来インターネットで流行しているキャラクターとして認識される面が強かったが,本稿では「LOVE展」という展覧会で初音ミクがどのように扱われているか,また初音ミクと愛をアートとしてどのように表現しているかに着目して考察を行う.

 LOVE展は,以下の5つのセクションで構成されている.1.愛って何?2.恋愛,3.愛を失うとき,4.家族愛,5.広がる愛.初め「愛とは何か」という問いから始まり抽象的な作品郡が続く中,次第に「愛の喪失」や「性的マイノリティ」,「家族愛」など作者の体験に基づく作品が展示されていく.そして最後に「広がる愛」というテーマで草間彌生や津村耕佑,そして吉永マサユキと素朴に考えられる愛とは違ったコンセプトとしての愛をテーマとした作品が並べられている.その中で,初音ミクは「広がる愛」のテーマの最後に展示されている作品であり展覧会の最後を飾る作品でもある.

 第1セクションから順番に作品を眺めていくと,「愛」が様々な文脈で語られていることに気付かされる.あるときは,恋愛という直截的なテーマとして愛の喜びや別離の悲しみが語られ,あるときは性的差別との戦いや反戦運動,国家の政策への反発の文脈として語られる.そのような中で,展覧会の最後を飾る作品とは如何なるメッセージを持つのだろう.

 「初音ミク」に込められたメッセージとは,まさしくそのような政治的対立を超えて人々がつながれる可能性を示唆するものであった.「初音ミク」のブースではアマチュアが描いた様々な初音ミクのイラストが床に並べられており,正面と側面合わせて3方のスクリーンでは,アーティストが語るシンボルやハブといった「つながるためのツールとしての初音ミク」の映像と,初音ミクがライブを行い,それに人々が熱狂している様子を写した映像が流されていた.

 これらの作品群から伝わってくるのは,初音ミクが単なるソフトウェアやキャラクターではなく,「人々のつながり」を象徴するものであるということである.初音ミクというツールを利用して音楽として自らを表現し,それが動画やイラストといった更なる表現の連鎖を巻き起こしていること,そしてその表現の象徴としての初音ミクがライブ会場で人々の一体感を生み出していること,そのような初音ミクにまつわる人々の表現の調和を可視化したことが,様々な愛のかたちを提示した展覧会の最後を締めくくるのに相応しい作品に選ばれる要因となったのだと考えられる.

 昨今,イラストレーションの性的描写を巡って様々な規制案が議論されているが「初音ミク」についても同人誌等で18禁のものが頒布されているため全くの対象外ではない.しかしLOVE展という展覧会を通してみると,初音ミクというコンテンツの強さはむしろそのような清濁併せのむ環境から生まれてきたことに起因するのではないかと思われる.愛とセックスは切り離せないものであり,それを巡る男女間の対立,政治的な対立は常に議論の的となる.そして,それに付随する愛の表現も先鋭的なものとならざるを得ない.初音ミクを愛の象徴として考える場合,性的な消費対象としての側面も含めて人々がコミットできる象徴,あるいは物語であるということが,その複雑さを内包しているように思う.そしてそれこそが初音ミクの強さなのだと思う.