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とりあえずかけそば一丁

アニメとか映画とか気になったものについて

『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』とオタク論 

今日は映画『たまこラブストーリー』の舞台挨拶に行ってきました。

 

最近BS・CSに加入したこともあって映画を観る機会が増えたのですが、やはり映画館で観るのは格別です。

なんといっても全然作品への集中力が違う。おそらく

・能動的に予定を立てている

・お金を払って見ている

・劇場という閉鎖された環境に閉じ込められている

といった理由から、作品に没頭できるのではないかと思われます。

家だとどうしても携帯見たり、トイレ行ったりして集中して見ないですからね。

 

 

それはさておき表題の件。少し古いのですが『俺ガイル』の話と今期アニメの話を絡めて書こうと思います。

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の基本情報は皆さんご存知でしょうし、今の時代知らない単語はWikipediaで全て調べられますので割愛。

 

私はこの作品が、当時、円盤の枚数的に非常に成功していたこと、TL上で相当数の人気を得ていること、そして2014年版の『このライトノベルがすごい!』でレコメンドされているなどの前提知識を得た上で録画していた作品を鑑賞しました。

 

前評判通り、作品は非常によく作られており人気が集まるのも納得の出来栄えだったと思います。キャラクターや構成しかり、この作品の良さを決めているファクターは様々あると思いますが、後述することにして、先日とある中学時代の友人と再会した折、この作品について話す機会がありました。

 

その友人は、高校時代からオタク道に入ったクチで、中学時代はガンダムエヴァといった作品が好きな普通の男子だったのですが、しばらく会わないうちに典型的なギャルゲー好きになっていました。

そんな彼とアニメの話をするといつもあまり反りが合わなくて、僕が好きな『たまこま』や『てぃんくる』、『まなびストレート!』と言った作品はあまり彼に刺さらず、彼は『ティアーズ・トゥ・ティアラ』や『真剣恋』などギャルゲー原作のアニメが好きでした。また、『はがない』や『SAO』も好きだったのでラノベにもある程度親和性がある人でした(どの程度好きだったかはわかりません)。

そんな彼だったので、当然 『俺ガイル』も好きだと思って話してみたら、「あれは駄作だ!」と一蹴されました。つまらなくて1話で切ったと言っていたのでそれっきり細かい話はできなかったのですが、よっぽど気に入らなかったのでしょう。

そのとき気づいたのですが、もしかしたら「ラノベ・ギャルゲ好き」というのは一枚岩ではないのではないのでは?と思いました。

 

私自身があまりアニメに強くないので、カテゴライズするとき「ギャルゲ・ラノベ枠」は一括りにして同じ層と捉えていたのですが、そうでもないようです。

 

そもそも、何で私が「ギャルゲ」と「ラノベ」が好きな層をいっしょくたにするようになったかと言うと、これらのカテゴリーには高度に記号化された「美少女キャラ」が多数登場し、キャラ描写とファンタジー世界を描く「浅い」作品が多いというイメージを持っているからでした。(この認識は今でも余り変わっていませんが、もちろん素晴らしい作品があることを否定するものではありません)

 

ところが、件の彼と話してみてそういう「ギャルゲ好き」の彼でも(人気があるとされる)ラノベに手が出ないものがあると知り、「ギャルゲ」然り「ラノベ」然りこれらの層をいっしょくたにするという認識は間違っているということに気付かされました。

 

そこで、今回は「ラノベ」層に焦点を当て、これらの作品群の嗜好の違いを分別することを試みたいと思います。

 

アニメやサブカルに限らず(もしかしたら文学も含め)、多くの娯楽作品には顧客ターゲットというものが存在します。ラノベの多くはティーン・エイジャー世代、週刊の少年誌は小学生~大学生の男(最近はそうでもない?)、少女誌は若い女性向け、一方モーニング、ビッグスピリッツなどはもっと高い年代をターゲットとしています。

ここで気をつけたいのが、ラノベと漫画という媒体の違いです。

漫画は文字に比べて読むのに時間がかからず、週刊や月刊で継続的に、その気になれば「立ち読み」という手段を以ってお金をかけずに読むことが可能です。

一方ラノベは、月刊誌等で連載を持つものもありますが、多くの作品は単行本を買って読むという形で消費されています。つまり、作品を消費するまでのハードルの高さが全く異なります。

このことから、ラノベの場合、漫画のように週刊・月刊誌を総当り的に読むというのが難しく、結果として読むラノベの数をキュレートする必要があります。

そういった背景から、ラノベの場合漫画と比較して、嗜好による選別とそういった消費者に対応した作品の多様化、そして収束化が進行していると考えられます。

作品外の要素ではこのような背景から「ラノベ」層の多様化が進んだと考えられます。

 

続いて、作品そのものの内容と読者の関係について考えてみたいと思います。

ここで、ラノベ作品を分析するために「こじらせ」という概念を定義します。

といっても「定義」というほどがっちりしたものではなく、私が抱いているイメージを言語化したものです。

「こじらせ」とは自虐と「ネタ化」を組み合わせたようなものです。自虐ネタに近い感覚でしょうか。自虐ネタの場合、例えば「自分が太っていること」や「顔がブサイク」、「しゃべり方がキモい」など自分の身体的、あるいは精神的な面で他人より劣っているとされている特徴を自分から言うことで笑いに変えます。ここで重要なのは、自虐ネタは必ず「自分自身の特徴」であるということです。

「こじらせ」では、この点が自虐ネタと異なります。「こじらせ」の場合、虐げる対象が「自分自身」ではなく「アニメ・ラノベ文化で共有されていること」となります。

「こじらせ」の例の一つとして「死亡フラグ」をあげます。「死亡フラグ」とはご存知の通り、アニメやラノベの中で、あるキャラクターが死ぬ直前に呟く言葉や場面をネタ化したものです。これが、なぜ「こじらせ」なのかと言うと、「死亡フラグ」が「死亡フラグ」としてネタ化する前のそれぞれの場面は、人の死が掛かっている非常に心を動かすものであったはずです。そのような「自分が心を動かされたもの」を「ネタ」にするのが非常に自虐的なのです。他にも「中二病」というのは、主に低年齢層向けのアニメの設定をネタにしたものです。

このように、「アニメ・ラノベ文化で共有されていること」を「ネタ化」してしまうのが「こじらせ」なのです。

 

「こじらせ」は「共有されていること」をネタにするので、あるネタをこじらせたネタを更にこじらせる…といったように「こじらせ具合」が変化していきます。「死亡フラグ」の場合は、「登場人物が死ぬ場面」から「死亡フラグ」、そして今度は「死亡フラグが存在する世界」というように、ネタ化、あるいはメタ化します。他にも「中二病」や「恋愛もののお約束」といったものについても同様の傾向が見られると思います。

ここまで読んでお気づきの方もいらっしゃる方も多いと思うのですが、先ほどの「死亡フラグ」を「こじらせた」作品は現在放送中の『がおられ』を指しています。

 

ここからが本稿の仮説なのですが、

この「こじらせ」という現象はアニメ・ラノベにおいて顕著に観察されるものであり、その原動力はオタク的な心情である。そして、ある作品が「どの程度こじらせているか」が作品の読者層に関与している。

 というものです。

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は、「こじらせ」という観点から見ると「恋愛もののお約束」というネタが「こじらせ」られています。

ギャルゲーなどの恋愛ものの多くは、死亡フラグと同様に恋愛フラグというものや、恋愛ものにありがちな展開、キャラクターといったものを抱えています。

『俺ガイル』の面白いところは、そのような「ありがちな展開」をオタクの主人公という視点からもう一度捉え直すという「極めてオタク的≒こじらせている」点でオタクの心情描写が秀逸であることと、そのような「こじらせた状態」でもう一度しっかりラブコメをやっているという場面展開のコントロールの巧みさにあります。

 

さて、この『俺ガイル』という作品は上述の理由で面白い作品に仕上がっているのですが、冒頭の私の友人には受け入れられませんでした。それは、彼が「恋愛ネタ」のオリジンである「恋愛もの=ギャルゲー」を純粋に楽しんでおり、その視点からでは作品を楽しむことができなかったからではと考えます。

1サンプルから一般化するのは愚の骨頂ですが、同様に多く読者・視聴者は「作品のこじらせ具合」を基準の1つとして作品を楽しめるかどうかを判断しているのではないでしょうか。

 

傍証ではないですが、先日TL上でこのようなつぶやきを見ました。

http://twitter.com/METHIE34/status/461998239776927746

 

シドニアの騎士の場合、あまりに古典的な場面展開である故に、そういう作品でないのにも関わらず「死亡フラグ」と受け取られてしまうという、視聴者側が「こじらせて」しまっている例です。