とりあえずかけそば一丁

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ガールズ&パンツァーの気持ち悪さについて

今日はガールズ&パンツァーを観て思ったことを断片的にですがまとめておこうと思います.

私がガールズ&パンツァーを観て思ったのは一言で言うと「気持ち悪さ」なのですが,この気持ち悪さがどこからやってくるものなのか考えてみました.おそらくこの気持ち悪さは「こんなに私のリアリティから解離した世界なのに,面白いと思えている」ということからきているのではないかと思います.

 

今まで,私のリアリティから乖離した作品って,全くのめり込むことが出来ず2〜3話で切ってしまっていたのです.(SAO,ラグランジェとか...)しかし,このガールズ&パンツァーはリアリティを全く感じることが出来ないのですが,作品として(ある程度ですが)楽しむことが出来,その感覚を気持ち悪いと感じてしまったのだと思います.

 

そこで今回の問題設定は「現実世界から遊離した世界でどこまで感動できるのか」ということです.

 

ガールズ&パンツァーは「戦車道」や「学園艦」が登場してくるといった,世界観が現実とかなりかけ離れている世界観を採用しています.しかも,部活で戦車という兵器を扱い,安全面に全く考慮していないあたり,部活動としても学校競技としてもかなり危険です.(あれですか?柔道必修化への皮肉ですか?)

 

そのようなあやふやな世界設定でも人が感動できるということは,「最早ドラマに世界観は必要ない」ということでしょうか?

 

もしそうだとすると,世界観だったり設定というものは,ある作品を構成する上での歯車となり強調するような「システムの要素」足り得ず,取っ替え引っ替え可能な記号に過ぎなくなります.そこでは記号同士の整合性は無視され,記号の順列組み合わせ的世界が生成されることになります.

  

極端な例では,貧乏女子高生が部活で政党を組織して地方自治,そして貧困に強い世の中を!なんていう話も可能になります.各地方のGDP上昇率で競う全国大会とかね...(面白いかどうかは置いといて)

 

今可能かどうかは分かりませんが,ガールズ&パンツァーという作品が生み出されたことで,今後そのような,記号の順列組み合わせ的世界,物語が加速するのではないかという危惧があります.

 

ところで,そのような順列組み合わせ的世界が可能になったとしても,経済合理性から,面白くない作品は淘汰されます.

 

ガールズ&パンツァーの上手さ,面白さは,あいまいな世界観に対して「徹底した一人称視点と人物描写」だと思います.

キャラ数が多くなると描写が散漫になり,第三者視点,俯瞰を多様しがちになりますが,ガールズ&パンツァーにおいては基本的には主人公であるみほを中心に描かれており,みほから見る世界が描かれていると言えます.(例外はありますが

 

ガールズ&パンツァーが最終話に向けてどのような語りを用意しているか分かりませんが,昨今のアニメを象徴する存在として最後まで注視していこうと思います.